日々のたわごと


by 55hitsuji
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

ああ ワラビ平

 月が変わり、2/1はホルモン隊(越峠隊)とのコラボイベントというので、「これは焼酎が合うだろうな〜」などと垂涎の思いで運転手確保計画を考えておりましたら、木曜晩から子ヒツジ2が風邪を引いてしまいました。

 「喉が痛い」が「お腹が痛い」に変わり、戻してしまうのでクスリも効きません。土曜午前は点滴を3本やってきたようですが、夜になると「痛い痛い」と泣いてばかり。家内は夕飯の支度も出来なかったそうで、台所を汚されるくらいならと子ヒツジ1と外食に行ってきて、と言われました。
 
 金曜の晩、家内には「深夜になったら子どもの場合は高次救急センター?」と聞かれましたが、確かそこに行ってはマズイと日報で読んだばかりだった気がして答えられないままでした。

 こういう状態で、「じゃあオレは焼酎飲んでホルモン食いながら釣りに行ってくるぜ」と、日曜の朝出かけていくことはさすがに出来ず、土曜の晩の様子を見て、入院とか、救急センターに行かないようだったら、前述のセリフから「焼酎飲んで」の部分を削除し、早め帰宅を条件に行(かせていただ)くことにしました。幸い深夜に病院に行くような事態にはならず(とは言っても、行けば行ったでインフルエンザの患者さんと待合室で一緒になるので苦しくても家にいた方が良いとの判断)出発できました。

 4時半頃の市内の路面はツルツルで怖かったですね。

 「おもてなしの心」を準備するように隊長から言われ、肴町の「鯛夢」の鯛焼きを調達していたら、隊長が「大判焼き」を用意したとの知らせが。
完全にかぶってしまったので、鯛焼きは自家消費に回し、帰りにデパートの食品売り場にて酒肴向きのお総菜を購入し、ストーブで暖められるようアルミホイルに分けて包んでおきました。

 さて当日。目的地はワラビ平ということ。
(えっ〜!!)

あの急峻なアクセスには過去何度も泣かされたことがありましたので、耳を疑いましたが、隊長は越峠隊に説明しています。

「ワ〜レワレはあんな急なとこ行きませんから。セレブの方から行くから大丈夫ですよ」

 そうかと気を取り直して後に続きました。

この日の背負子は水物などが相当入っているので重かったのです。隊長の背負子の中身がヘッポコで公開されていましたがざっとあの3倍、15キロ(おおげさか?)はあったのではと思われました。それに加えてソリには宴会テントとドリル、フラッシャー。ソロ釣行の時でもソロテントとドリルはそりに積んでいるので慣れてはいるはずですが、何と言っても相手はワラビ平。ガードレール越えでバランスを崩しスッテン。その後、ソリの向きを変えようにも、前日の積雪でソリの脇を通れば「ズボッ」は目に見えているので逆向きに蹴飛ばし蹴飛ばし進もうとしましたが、なかなか前に進みません。隊列が滞ってしまい結局「ズボッ」をやって後陣を先行させました。

ただでさえ自身が重いのに背負子が15キロとすると0,1t<ヒツジ。ズボズボ来るのも当たり前です。スノーシューをつける事にしましたが息が切れます。遅れに遅れやっと目的地周辺にたどり着いたときには息も絶え絶え、もう釣りは出来ないのではないかと思いました。

 さっぱり釣れませんでしたが、もうこの日はどうでも良くなっていました。楽しみは例のホルモンなのですが、なかなかテント間の交歓が行われません。次長課長さんがやっと訪れましたが、手にはワインと自分の分の「氷結」のみ。
(ァ、アノ・・・ホルモンは??)と聞きたくても、そもそもどういう経緯でこういうイベントになったのか分からない身には、それが出来ませんでした。
待つこと数時間。

 やっとヨッパになってくれた隊長が酒が足りないので向こうのテントに行きました。私の分の「お持てなしの心」は早々と次長課長に渡しておきましたので、やっとブツを持ってきてくれるのかと楽しみにしていましたが、なかなか居着いてしまって帰ってきません。

 やっと持ってきてくれたホルモン鍋でしたが、(隊長アンガト)残念ながら配当分はボリュームはあったのですがほとんどがうどんと水餃子で、ホルモンは小さな肉の切れ端が二片でした。肉としての体積は厚めのタクアン1片にも満たず、もう一回探ろうにも汁だけになった鍋にはすでに釣ったばかりの公魚が投入されていました。

 お昼過ぎ、約束通り帰還です。釣果はお昼過ぎ片付けたイスの下にあった分を足して55。隊長に敬意を表して釣りは終了としました。

それから、期待があまりにも大きかったので最後に越峠隊テントに寄って、ホルモンを7〜8切れいただいてから帰りました。

 帰りの坂、たった一人なので最後のガードレールが鬼門でした。幸いここでお会いした別グループの知人、S市T村氏が道路から手を伸ばして15キロ弱もある(消化分は減った)背負子を引っ張り上げてくれたので帰ることができました。

T村氏にここでお会いできなかったら、永久に上がれないか、無理して上がれても脳溢血で死んでいたかもしれません。それほど苦しかったのです。

「さらばワラビ平」

こう結んでお終いにします。



盛岡に帰ってから(髪の)毛を刈ってきました。
[PR]
by 55hitsuji | 2009-02-02 19:29